誰が言ったか知らないが、訪ねてみれば確かに感じる魅力のご当地をさすらう「埼玉ブルース」。
とかく肌寒いこの季節には、ぬくぬくこたつでみかんを頬張りながら、何気なく鼻歌を口ずさんでいたいもの。
そんな「みかん」と「歌」という最高のゴールデン・タッグに関する記念碑があると聞いて、
今週はJR深谷駅にお邪魔して来ました!
深谷と言えば有名なのは、何と言っても深谷ねぎ。その地名を冠した深谷もんじゃや
ご存知武州煮ぼうとうなどグルメが幅を利かせる中で、ほかにも数々の名物があるのは、
何故だかあまり知られていなかったりする。
今となっては耳馴染みの薄い煉瓦(れんが)も、そんな「数々の名物」にかつて
数えられていたもののひとつ。ここ深谷で製造された上質な煉瓦は、日本近代化のシンボルとして
東京駅の竣工にも大きな役割を果たしたそう。
そんなご縁から、現在の深谷駅の外観は、その駅舎を模して作られているんだって。
へえ、確かにそっくりかも!
まるで東京駅に迷い込んだような一大スケールを後にして、歩みを進めた駅前にも、煉瓦で栄えた
街の名残がそこかしこに。
こちらの可愛らしい時計台の中にその顔を覗かせているのは、
なんと深谷のご当地ゆるキャラとして、今や全国区にまでその名を広めているふっかちゃん!
いつも頭に巻いている緑色のバンダナの上から、さらにサンタ帽子を被せられている姿は、
まさにこの季節ならでは。来るクリスマスに向けた深谷市民の意気込みと、何より
ふっかちゃんへの並々ならぬ愛が感じられるではないか。
今年のゆるキャラグランプリでは、午年という時流の勝ち馬に乗ったぐんまちゃんにしてやられたものの、
来年こそは見事ふっかつを果たして欲しいところ。……コホン、お後がよろしいようで。
とは言え、たとえグランプリを制すまいが、深谷市民のふっかちゃん愛は留まることを知らぬもの。
ここ駅前とその周辺だけでも、そんな愛情の賜物は数知れず。
こうした写真を収めている最中にも、行きずりの老若男女がスマフォを構えていたことは是非
とも特筆しておきたい。流石の人気キャラクターぶりと来たら……いや~、愛されちゃってますね!
そんな”THE人気者”ことふっかちゃんのすぐ斜向かいに、
誰にもカメラは疎か視線を向けられない男が一人……。
こちらの銅像こそ、深谷出身である渋澤榮一の功績に敬意を表して建立されたもの。
わずかでも日本近代史を紐解いた者なら、誰しもその名に覚えのある言葉通りの偉人である。
旧大蔵省に仕え、現在の東京証券取引所の前身をはじめとした様々な金融機関や企業の設立に貢献したことから、
主に日本資本主義の父として知られていることは言うまでもない。
件の東京駅建設に用立てられた煉瓦の製造を請け負った会社も、それを発注した旧国鉄も、
この渋澤榮一先生なくしては語れないと言うのに……。この物憂げな表情をして、どうしても
ふっかちゃんに羨望の眼差しを送っているようにしか見えないのが、なんとも悲しい限りである。
目的地に向かう道々に点在する銅像。深谷市民はふっかちゃん愛を持ち合わせているばかりでなく、
無類の銅像好きでもあるようだ。
あらゆる時代をなぞらえた様々な種類がそこかしこに見掛けられる中でも、
何と言っても市内至る場所にあるのは、やっぱり渋澤榮一像。
その数は、件の駅前広場をはじめ、現存する生家の庭内やはたまた記念館の裏手側、
はては埼玉県を越えて都内にも及んでいたりする。まさに枚挙に暇がないとは、このことである。
ともあれ、その偉大過ぎるにもほどがある功績を思えば、それも致し方ないかも知れない。
かねてから目標とされていた世界遺産に見事登録を果たした富岡製糸工場の設立に深く携わったばかりでなく、
今年なにかと話題となった理化学研究所の創設にも尽力したというから、
その生き様は推し量るに余りある。
ちなみに、こちらは深谷市市役所前の胸像。
先程の駅前にあった銅像では遠過ぎてよく分からなかったものの、これを拝見する限りでは、
割合に彫りの深いダンディなお顔でいらした模様。
そんな双眸に映るものは、昔からは様変わりを遂げたであろう深谷の街並み。
こうして穏やかな表情を浮かべる榮一翁も、実は若い頃は意外とエキセントリックな
思想にかぶれていたりする。尊皇攘夷に傾倒し、高崎城を乗っ取った後に横浜焼き討ちを画策していたと
する逸話など、なかなかに血の気の多い一面も。この偉人、結構なやんちゃっぷりである。
結局、その企ては中断され、それからヨーロッパ周遊やアメリカ巡歴などを経た渋澤先生は、
国際親善や人類融和に注力して行く運びとなる。
まさに動乱の時代を、文字通りに駆け抜けた理想主義者の夢見た平和の世。
いつに時代は移ろえど、この穏やかな風景がこれからも変わらないといいよね。
お隣にもちゃっかりと言うか、もはや当然とも言える銅像を確認。
かの有名な一ノ谷の戦いで、平家の裏を掻いて断崖を下る際に、
大切な愛馬を背負って降りたと伝わる武将・畠山重忠の逸話を写した躍動感あふれる一作。
鎌倉幕府に仕え、坂東武士の鑑とまで歌われた重忠も、何を隠そうこの深谷の出身。
実に千年近くも昔の偉人をしっかりと芸術に昇華させている事実を思えば、深谷市民も重忠同様、
慈悲深く情け心にあふれているに違いない。
そんな深谷市民の懐に少なからず触れたような気がしたところで、
さらに足を進めて、本来の目的地へ。
果たして「みかん」と「歌」の謎は解けるのか!?
再び戻った駅前で待ち受ける秘密のアレとは……?
【今回取材させて頂いた深谷市役所】
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