世界に誇る漫画のよさを再発見するべく漫画会館へ【埼玉ブルース第20回】

埼玉ブルース

誰が言ったか知らないが、訪ねてみれば確かに感じる魅力のご当地をさすらう「埼玉ブルース」。

刺繍に散文、戯曲に小説……読書の秋にも様々あれど、
いつの季節にも目が離せないのは「いくつになっても漫画です!!!」

そう声を大にして言いたい大きいお友達に向けて、世界に誇る日本の漫画のよさを再発見するべく、
今週はさいたま市立漫画会館にお邪魔して参りました!

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こちらの漫画会館は、そうしたMANGAブームに先駆けて、その魅力をより広く伝えるために
造られた埼玉ならぬ日本ではじめての公立漫画美術館。今でこそ全国津々浦々に点在する漫画に
関する記念館や画廊って少なくないものの、その先輩格とも言えるまさに草分け的な存在です。

その周辺は、まさにかえで通りと言う名のポエチック街道に佇む悠久の館と言った風情。
流石絵になりますね。ええ、そりゃあもう、漫画と名の付く会館だけに。

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早速ご案内頂くと、すぐ正面の階段を上がった先は資料室とのこと。
本来は日曜・祝日のみの公開ですが、ご無理を言って少しだけ覗かせて頂くことに。

恐る恐る拝見したそこには漫画に並んで各巨匠のサインが余すところなく並んでいました。
なかには、やなせたかし先生や松本零士・水島新司両先生の書かれたものも。

何を隠そう、埼玉は漫画と昔から大変縁が深かったりするのです。この地を舞台に据えている
作品はご存知『クレヨンしんちゃん』や古くは『エースをねらえ!』など数知れず。へえ、あの
『ドカベン』では主人公の山田太郎が西武ライオンズで活躍するなんて知らなかった!

流石は我らが埼玉県、名立たる先生方のハートをガッチリ掴んじゃってます。

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さらにその室内を見渡せば、そこには新旧の単行本が時代を超えて揃い踏み。
この名作の充実振り、そんじょそこいらの下手な漫画喫茶よりも楽しめること請け合いです。

少年/少女とそのジャンルを問わぬ幅広い取り揃えに加えて、そうした作品を生み出すには不可欠な
画集や設定集と言ったやや硬めの蔵書も。それらを何気なく手に取る青少年諸君のなかから明日の
大作家が誕生する、なんてことだって有り得るかも知れません。だって、事実は創作よりも奇なり
なんて言うくらいだし。

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そんなまさかの可能性に胸躍らせながら、次に訪れたのは企画展示場。さっきまでの漫画タッチは忘れて、
ここからは真面目に行きます(あっ、漫画がふざけてるって意味じゃないですよ。念のため)。
毎回様々な意匠を凝らして多くの作家による功績を紹介して来たこちらのスペースでは、
現在は牧美也子の世界展が開催中とのこと。

少女漫画からレディス・コミックまで多岐に亘るご活躍の片鱗を垣間見せる作品群は、
不思議に一貫して流麗で思わず惚れ惚れしてしまうほど。それらが織り成す世界観は、
まさに幻想的の一言です。

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そのお仕事の軌跡の一画には、ちょっと思い掛けないこんなものまで。初代リカちゃんシリーズの、
しかもフル・セットなんてファンの方には垂涎ものでしょうが……とは言え、
「はて、何故ここにリカちゃんなのか?」と思いきや、

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今では万国的に知られるリカちゃんは、実は牧先生の描かれるヒロインを模して作られたのが
そのはじまりなのだそう。うん、パッチリした目に均整の取れたスタイル、愛らしいのに何処か
コケティッシュな雰囲気も、そう言われてみれば確かに似てる!

女の子なら誰もが一度は憧れたであろう”おもちゃ”を大人になった今見ると、そう呼ぶのが
躊躇われるほど細部までこだわった丁寧な出来映えです。おお、それまでは漫画やアニメの
平面で見るだけだった夢の世界を手に取ることが出来るようになった少女達の歓びがまさしく手に取るようだ。

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こうした期間限定の展示のほかには、近代日本漫画史を紹介する常設展も。
ここでは当時の新聞に掲載された貴重な風刺画から、在りし日の世相を伺い知ることが出来ます。

カラー写真の歴史は古く、その開発は意外に早い1860年代。しかし、それが日本の、なおかつ我々庶民に
普及するまでには、さらなる時間を要します。ましてやパパラッチや彼らが垂れ流すゴシップが当たり前
ではなかった時代では似顔絵やカラー・イラストは、現代以上の意義を担っていたに違いありません。

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この常設展で観賞出来る戯画の多くは、北沢楽天先生の功績によるもの。
最も古い職業漫画家の一人と謳われる楽天先生のご出身は埼玉県。現役の時分には
大都会東京に移り住まわれたものの、晩年に戻られたここに新たに建てられたのがこの会館だそうな。

手前の銅像は、洋画家でもあり彫刻家としても名を成した石井鶴三氏が生前の楽天先生を写したものなのだとか。
その弟子をして親しみやすい雰囲気を醸すこの表情から、いかにも好々爺然としたお人柄が偲ばれます。

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江戸時代の終焉直後に生まれ、戦後まで第一線を貫いた楽天先生の偉烈を讃えるべく作られた
漫画会館が門戸を開いたのは昭和41年。その開館の際には、現在の漫画界の立役者とも言うべき方々が
こぞってお祝いに見えたとのことで、

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そのなかには、なんとあの手塚先生のお姿も!
よく挙げられる楽天先生の大功のひとつに、幼い日の治虫少年の漫画愛を養い、
その創作意欲を掻き立てたと言う点も伝えられている。

そんな楽天先生の才能を見抜いたのは、今日の日本で最も愛されている肖像画としても
お馴染みの福沢諭吉。もともと北沢家は紀州徳川家とも関わりの深い大宮宿のお役人と言う
やんごとないお家柄で、世が世なら楽天先生も問答無用でその職務を世襲するはずでした。

もし徳川幕府が続いていたら、福沢諭吉と出会わなかったら、手塚先生が『楽天全集』を読んで
いなかったら……この内でひとつでも欠けたら、もしかしたら多くの読者を惹き付けて止まない
あの名作は生まれなかったかも知れない。
そう思うと、楽天先生の残された膨大な作品も然ることながら、その功勲は計り知れません。

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その開館を記念して一堂に会したのが時の売れっ子達とあって、皆さん総出で描かれた作品群は、
今も館内に大切に展示されています。所謂”風刺画”の第一人者でいらっしゃる楽天先生の画風を
引き継いだお弟子さん方の揮毫から、

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黄桜の二代目カッパCMでお馴染みの小島功先生による美女と、その豊満ボディを覗く鉄腕アトムまで! 
ええっ、正義のヒーローがそんなことしちゃうとかいいんだ!? 

巷にはご多忙ゆえか意外とエキセントリックな性格だったとも伝えられる手塚先生ですが、
その人となりは案外お茶目さんだったんですねえ。

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もともとは楽天先生のご夫人によるご協力のもと、かつてのお住まいの跡地に建てられた会館と
言うこともあって、その縁の品もつぶさに眺めることも。

そのご活躍が近代であることが一目で分かる理由は、どうやら調度品の年季の入りようだけではなさそう。
パソコンや電子機器を駆使されている今の漫画家さん達とは、だいぶ環境が違いそうです。
楽天先生は一体どんな思いで、この机に向かわれてたのかなあ。

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生まれ故郷に戻られてからは、お弟子さん達と賑々しく過ごされることがお好きだったと言う楽天先生。
こうしてご自宅のあった場所に、今でも来られるファンの方を何処かから温かく見守っておられるかも。

このお庭は当時から手入れはされているものの、その趣きはほとんど変わっていないことが
館内の展示から推し量れる。
ここに佇んで、今に生きる偉人の漫画愛に思い馳せてみるなんて、なかなか贅沢な芸術の秋の
過ごし方かも知れません。

【今回取材させて頂いた漫画会館】


(月曜休館 / 資料室の公開は日曜・祝日のみ / 今企画展は11月24日まで)

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